『終電ごはん』という本をご存じでしょうか。
まるで文芸書のような、黒い装丁に柔らかい文字。
簡単でおいしそう。そんなレシピが載ったこの本を執筆されたのが、梅津有希子さんです。最初はこの『終電ごはん』についてのお話を伺う予定だったのですが、流れは思わぬ方向に。
中野
梅津さんの本ってファンが多い感じがするんですけど、読者の方はどういう方が多いんですか。
梅津
私が出してる本って、あまりにもバラバラすぎて、読者の方もバラバラなんです。
中野
へえ~、そうなんだ。
梅津
『終電ごはん』みたいな食べものコンテンツの人かと思ったら『ブラバン甲子園大研究』とか、全然違うもの出してたりするんで。だから「これ、同じ人の本だったの!?」ってびっくりされることが多いです。別物すぎるので。
谷
ほんとに、いろいろ出されているんですね。幅広い……。
梅津
たまに読者がかぶるときもありますけどね。前に、甲子園のアルプススタンドで「だしの本買いました!」っていう大阪桐蔭のお母さんとかいました。
一同 (爆笑)
谷
そもそも、なんですけど、梅津さんはもともと編集者だったんですよね?
梅津
はい。でも、編集者になるまでに、いろいろ転職してます。
谷
いちばん初めは何だったんですか?
梅津
最初に就職したのは、ヤマハです。吹奏楽しかやってない高校生活だったので。
谷
ヤマハ! 音楽教室の?
梅津
そう、ヤマハの札幌店で、管楽器を売ってました。私、中学、高校と吹奏楽コンクールの全国大会に出るような強豪校にいて、「吹奏楽界の甲子園球児」みたいな感じだったんですよ。
谷
じゃあもうその延長線上で、自然に就職された。
梅津
そうです。でも本当に吹奏楽しか知らなくて、ほかの世界も知りたいなって思うようになってきて、転職をしました。北海道のAIR-G’っていうラジオ局に入って、そこで、ラジオの番組をつくる制作の仕事をしてました。
谷
ラジオ!
梅津
はい。こっちでいうTOKYO FMの系列です。地方ってスタッフが少ないから、そんなに仕事が細分化されてないので、雑用から番組でかける音源の準備、原稿書きまで、なんでもやっていました。そのうちに「私は書く仕事が好きだな」と思ったんです。それで、書く仕事ってなんだろうって思ったときに、ライターとか、雑誌好きだったから編集の仕事とか思って。
谷
なるほど、そこから、ライターに。
梅津
はい。でも、北海道だと地方なので、出版社自体も少ないし、東京行ったら何とかなるんじゃない? と思って上京したんです。
谷
それは、おいくつくらいのときですか?
梅津
25歳ぐらいのときです。それで、履歴書を片っ端から送ったんだけど全然駄目で。
谷
あら……。
梅津
まあ、今考えたらそうですよね。だいたいどこも、経験3年以上って書いてますし。結局どこも引っかからなくて。それで、当時IT企業とかがポツポツ出始めたころだったので、メールマガジンの、まぐまぐで働きはじめたんです。
谷
まぐまぐ。ちなみに、いつごろですか?
梅津
1999年とか2000年とかなんで、まだIT企業もそんなになかった。目立っていたのは、Yahoo!、楽天、サイバーエージェント、ライブドアの前身のオン・ザ・エッヂ、mixiぐらいかな。SNSもないし。まだAmazonもなかったんじゃないですか。あ、mixiはSNSのはしりですね。
谷
そっか……そんな時代だったんだ。
梅津
まだブログも黎明期だった頃です。でも、まぐまぐで編集の仕事をしていたんですけど、やっぱり雑誌がつくりたくて、紙の編集に憧れてて。で、そのときに私、犬を飼ってたんですけど、犬の専門誌を立ち読みしてたら、そこに「スタッフ募集」「未経験可」って書いてある編集プロダクションがあったんです。
谷
それに応募された。
梅津
はい。作文の試験があったんですけど「犬が好きで、こういう企画をやりたい」って書いて。だから、いちばん最初のキャリアが犬の専門誌です。
谷
へええ、始まりは「犬」だったんですね!
梅津
専門を聞かれると、今でも「犬です」と答えます。愛玩動物飼養管理士っていう資格も持ってますよ。
谷
そんな資格も! えっと、犬、だし、ブラバン……。プロフィールってどうされてるんですか?
梅津
毎回変えるんです。ペットの本のときは動物のことを書きますよ。でも食の本で動物のこと書くのも、ちょっと相性合わないし。本当、本によってプロフィール変えるのが大変なんです。
谷
そうですよね……。
梅津
その編集プロダクションで3年経験を積んで、どこか違う版元に転職できればって思ってて。そしたらそこで結婚が決まったので、のんびり家のことをやりながら仕事できればなと思ってフリーになったんです。29歳で。
第5回に続く…
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