連載【ヒットメーカーに会ってみた!】
ダイヤモンド社の三浦岳(みうら・たかし)さんという編集者をご存じでしょうか?
いま、一年中桜満開で咲き乱れても花をつけ続ける人。ベストセラーのなる木でもおもちなのかな? というくらいヒット連発の編集者です。
代表作を少しだけご紹介。
『スタンフォードの自分を変える教室』(60万部)、『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』(17万部)、『一流の育て方』(20万部)、『やり抜く力』(28万部)などなど。
これだけ見ても強烈ですが、まだまだヒット作を担当されています。今回はそんな三浦さんに、メンバー全員で話を聞きにいきました!
わたしは初めてお会いしたのですが、想像以上に穏やかで柔らかな物腰のすてきな方でした。
同じ神奈川県出身で、勝手に親近感を覚えている宮崎がまとめさせていただきます。
よろしくお願いします。緊張!第1回 天才ベストセラー編集者にも売れない時代があった。
第2回 売れる翻訳書は感覚では作れない。三浦流ルールを大公開!
第3回 原題に引力がある本は、売れる。
第4回 タイトルはシンプルに。そして王道感を出す。
中野
こんな大勢で押し掛けてすみません!
今回はどうぞよろしくお願いします!
三浦
よろしくお願いします。
中野
本日校了のメンバーで、誰に話を聞きたい? って話になったときに、私、真っ先に三浦さんを挙げさせていただいたんですよ。
池田
うんうん。全員一致の即決でした。
谷
もうベストセラー連発で、最近とくに神がかってますよね。
三浦
いや、そんなことは……。
でも、ありがとうございます。
宮崎
いきなりであれなんですけど、三浦さん、イメージしていた感じと全然違います。
三浦
一体どんな感じだと…?
宮崎
出している本がビジネス書で、結構意識高い感じなので、失礼ですが…もっとウェーイ系なのかと。イケイケというか……。ほんと、すみません!
三浦
ウェーイ系……。
中野
あはは!
三浦さん、社内でも超ジェントルマン。相談するとすごく親身になって話を聞いてくれる。他部署の編集部員にもアイデアくれるし。
※中野あみちゃんは三浦さんと同じ出版社
池田
へえー! すてき!
谷
いまダイヤモンド社ですけど、転職組でいらっしゃるんですよね?
三浦
はい。最初に入った版元は人文系の本なども出しているところでした。そこに10年ちょっといて、それからビジネス書や女性書とか、もう少し柔らかい本を出している版元に4年いて、それからダイヤモンド社です。
宮崎
翻訳書が多いっていうことは、やっぱり大学は英文科専攻ですか?
三浦
いえ、大学の専攻はロシア文学です。
池田
えっ? ロシア??
中野
しかもロシア語の翻訳をやっていて、なんと訳書も。
宮崎
訳書がおありですか!
なぜロシア文学を選ばれたんですか?
三浦
専攻を選ぶとき「マイナー言語のほうが社会に出たとき希少価値が出て有利かな?」みたいな気持ちもあって選んだんですけど、就活のときにどこに行っても面接で「なぜ露文?」と怪しいやつを見られるようにいわれて、「むしろ不利だったのか!」と気づきました。
……翻訳のことも話していいですか?
谷
どうぞどうぞ。
三浦
大学のとき、ロシア文学ってそもそも現代の作家ってどんな人がいるのかなと思って、図書館でいろいろ見ていたとき、たまたま『眠れ』という短編集にあたって、それがすごいおもしろくて。それがペレーヴィンという作家でした。
池田
…ぺれーびん??
三浦
ロシアでは人気作家らしいんです。
それで、その『眠れ』を見つけたしばらくあとに、新聞の海外通信みたいなコラムで、それまで短編が中心だったペレーヴィンがついに長編を書いて話題になっているというのを見かけて。
タイトルは『チャパーエフと空虚』で、短い記事だったので内容にはふれてないんですが、とにかくすごい評判だと。
それで、それは読まなくては! と思ったのがきっかけでモスクワに留学して、ロシアで勉強しながら、毎日その本を少しずつ読んでいったんです。
宮崎
眠れ? ちゃぱーえふ?
なんか、熱を感じるね、静かな熱を。
ペレーヴィンさん、まったく知らないけれども。
三浦
今日はペレーヴィンの名前を広められてよかったです(笑)。
それで大学を卒業して出版社に入ってからも『チャパーエフと空虚』にこだわって、少しずつ翻訳を進めていったんです。
谷
ご趣味で?
三浦
趣味なんですけど、せっかくだからちゃんとやって本にしたいなと。
ただボリュームが400字詰め原稿用紙で800枚近くあったし、スラングとかもあって難しいし、もちろん本職もあるしで、ひたすら黙々とやっていて本になるまでに10年近くかかりました。
一同
10年……。
池田
……当時、編集者としてはどんな本を作っていたんですか?
三浦
最初に担当した本はすごいタイトルなんですけど、林道義さんの『フェミニズムの害毒』という本を引き継ぎで。
谷
なかなかのタイトルですね。
三浦
他には、精神科医の春日武彦さんの『本当は不気味で怖ろしい自分探し』という本とか。
じつは自分のなかに天才的な「本当の自分」が眠っていて、それが突然開花したりしたらうれしいのに…と思って、春日先生に「本当の自分はどこにいるのか?」というテーマでお願いしたところ、「本当の自分なんてものは理由があってひっそり隠れてるんだから、そんなものを引きずり出したら絶対いや〜なものを見る気分になる」という原稿があがってきて、「たしかに…」と思いました。
宮崎
たしかに…。
三浦
あとは、純文学作家の岡崎祥久さんに、時系列のばらばらな日記を書いていただいた『文学的なジャーナル』という本とか。
中野
純文学! 今と全然芸風違いますね。そのころ、いちばん売れたのは何ですか?
三浦
入社3、4年めくらいのときに作った『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』という本で、17万部売れました。
谷
あー! 知ってます。
中野
あれ翻訳書なんですよね? 原題は何ですか?
三浦
妙にハードコアなんですけど、『Order from Chaos』、つまり『カオスから秩序へ』。
宮崎
カオスから秩序へ…。
中野
やばいな、そのタイトル。。。
初ヒット本ということですが、どのへんが売れた理由だと?
三浦
じつは、あまり深くは考えてませんでした。雰囲気で…。
中野
雰囲気! さすが天才!
三浦
いや、じつはそのころ先輩が、郷坪浩子さんというデザイナーさんに装画と装丁をしてもらったノウハウ本で、立て続けにヒットを出していたんです。
『アタマにくる一言へのとっさの対応術』という本とか。いまは文庫になって全然ちがう装丁になっちゃってるんですけど。
池田
へえ〜。
なぜ郷坪さんのデザインした本はヒットしたんでしょうか?
三浦
郷坪さんにお願いすると、手作り感満載という雰囲気になって、ビジネス版元の出すノウハウ本とは全然ちがう仕上がりになるんです。その流れに乗っからせていただくようなかたちで郷坪さんにお願いしたところ、すごくハマって。
それで、当時はどうしたら売れるだろう? みたいな葛藤があまりなかったので、なんとなく「売れる本ってふつうに出るんだな」みたいに感じてたんですよね。
でもそのとき、当時の編集長に「これが生涯最高の部数だったりするかもしれないよ」って言われたことを覚えています。
宮崎
なんて手厳しい……。
三浦
そのときは「そんなことないでしょう」って思ったんですけど、その後10年くらいはその半分の部数の本も出せませんでした。
池田
予言怖いですね。。。
三浦
いま思えば、あのとき編集長には「なんとなく売れた」んだってことが見えたのかなと思います。
それからいろいろあってその会社を辞めて、次は大和書房に行きました。
谷
移られて最初はどうでしたか?
三浦
入ってしばらくは仕込みの期間になるので本を出せないわけですが、半年くらいそんな期間が続いて、すごいプレッシャーがありました。
そこそこの年齢なので、即戦力として採ってもらったのは理解しているので、同僚がいろいろヒット作を出しているなか、時間がたつにつれてじわじわとこれはやばいぞ……みたいな。
宮崎
転職してからのプレッシャーって、すごいですよね。絶対に結果出さなきゃ! みたいな。
三浦
そう。もう追い込まれすぎて、ネットで公開されているベストセラー編集者の編集論みたいな記事を隅から隅までチェックしたりしました。
だから、ネットに上がっているベストセラー編集者のテクニックは、だいたい知ってます(笑)。
池田
三浦さんにもそんな時期が……。
中野
大和書房では、翻訳書を出してほしいって言われたんですか?
三浦
とくにそういうことではなかったと思うんですが、最初の会社で和書も翻訳書も作っていたので、その流れで企画を出していました。とりあえずなんでもいいからそこそこ売れるものを出さないとやばいぞという感じで。
谷
大和書房での最初の担当本は何ですか?
三浦
最初は『文系ビジネスマンでもわかる数字力の教科書』という和書を担当しました。自分の中では、転職してからの空白期間のプレッシャーと、読み漁ったベストセラー編集者ノウハウがぎゅっと詰まった本という感じなんです。
発売初週の土曜にPOSデータで数字が上がっているのを見て、すごくホッとしたのを覚えています。
その次が翻訳書で『ハーバードの人生を変える授業』という本で、これがとてもよく売れました。
中野
何万部いったんでしょう?
三浦
12万部です。
谷
移籍後、2本目で12万部!
中野
すごいな〜。そして超ベストセラー『スタンフォードの自分を変える教室』につながるわけですね。
三浦
はい。それが単行本で60万部売れて、その後、僕は担当していないのですが、文庫化されてからも10万部以上売れていると聞いています。
宮崎
それでダイヤモンド社に移ってもヒット連発されるわけだ。いやあ、すごい。
谷
でもお話を聞いていると、最初はいろいろ試行錯誤して、苦労されていたんですね。
池田
最初から天才ではなかったのかと思うと、こちらもホッとします。。。
写真:米玉利朋子
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