【ヒットメーカーに会ってみた!】加藤晴之さん 第1回 「撃ち込まれたんじゃなくて、銃弾が送られてきたの。封書で」

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第10回 本屋大賞にも選ばれ、2016年には岡田准一さん主演で映画化もされた小説『海賊とよばれた男』。ハードカバー、文庫あわせ420万部という大ヒット作を手掛けたのが、編集者の加藤晴之さんです。

1955年大阪生まれ。80年に講談社に入社し、創刊されたばかりの新雑誌『ミス・ヒーロー』(女性誌)に配属。86年『週刊現代』の編集部に異動し、94年には編集次長、98年には『フライデー』の編集長に就任。2003年から、書籍の編集部である学芸図書出版部担当部長となったのち、2006年ふたたび『週刊現代』の編集長に。そのあと09年に再び書籍編集へ。現在は加藤企画編集事務所を設立され、忙しい日々を送っておられます。

私は「一人アウトレイジ」と勝手に呼んでいるのですが、そのご尊顔を拝むたびに「ただものじゃない」圧がすごい(加藤さん怒らないで……)。
今回は、加藤さんのことを知らない方のために、過去のお話をいろいろうかがっています。でも私は、加藤さんご本人から一度も「武勇伝」「自慢話」を聞いたことがありません。
それより、私のような若輩者に「あの本はどうやって作ったの!?」と好奇心旺盛で聴いてくださる。「いくつになっても、こんなに目を輝かせて、仕事を楽しんでいられるんだ!」と希望を持つきっかけをくれた方です。では、インタビュー全7回、どうぞ!

あの、加藤さんって「伝説の編集者」ですよね。

加藤

いやいや、そんなことないですよ(笑)

でも、加藤さんにまつわる噂、いくつかあるんですよ。「家に銃弾を撃ち込まれた伝説」、「部下に『事件がないなら、お前がここから飛び降りて事件を作れ』といった伝説」。この辺の真偽をお伺いしたいんですが、これは本当なんですか?

加藤

どんどん話が膨らみますね(笑)

あっ、本当なんですね!

加藤

撃ち込まれたんじゃなくて、銃弾が送られてきたの。封書で。

封書で。それはそれで怖いですけど……。とはいえ、だいぶ話が盛られてますね。
で、そのときはどうされたんですか?

加藤

警察に届けたんです。自宅にきたのかな。

銃弾1個。それって、銃弾だけが入ってるんですか?

加藤

はい。社会面のベタ記事が、たしか読売新聞に載ったような。94年ごろだったかな。

えっ、新聞記事にもなったんですね! ちなみにその頃は、どの雑誌に在籍されていたときですか?

加藤

『週刊現代』。

もしかして、何かヤバいこと、調べてたんですか?

加藤

何かね、……(含み笑い)。

じゃあ、もう一つの伝説の真偽のほどは……?

加藤

「お前が事件になれ」は、さすがに、尾ヒレがついてると思いますけど……いや、ひどいことを言ってのたのは事実でして、僕自身、まるで人間ができてなかったんです。本当に申し訳ないんですけど、この前も会社を辞めるときの集まりで「加藤さんにこんなこと言われた」っていろいろ言われたんだけど、「え、そんなこと言ったの、すみません」って、覚えてないこと自体、失礼きわまる話なんですけど。「加藤晴之被害者の会」みたいなのをやると、当時のいろんな話が出ると思います。

相当、鍛えられたんじゃないですか。部下の方とか。

加藤

そういうふうに言ってくれるとありがたいけど、ただ単に迷惑だったんじゃないかと。

でも、それくらい切羽詰った過酷な現場だっていうことなんですよね。私、書籍しかやったことがないので、雑誌、とくに週刊誌の仕事って「大変なんだろうな……」くらいの印象しかなくて。きっと、同じ出版でもまったく別物ですよね。週刊誌の現場ってどんな感じなんですか?

加藤

そうですね、僕は『フライデー』や『週刊現代』の編集長になる前に、86年から10年くらい『週刊現代』の現場をやってるんですが、泣こうがわめこうが週に1回は必ず記事を作るわけです。僕は渡辺淳一さんの連載エッセイ「風のように」とかもやっていて、多いときで、特集とコラム記事、連載企画とエッセイで多いときで4〜5本抱えてました。

毎週4〜5本ですか?! すごすぎる……。

加藤

はい。そうするとね、新卒で入った1年目の人間でも、週に1本か2本は必ず何かやるわけです。トレーニングの場というんですかね。

1年めから毎週! そんな緊迫感のある締め切りがあるんだ。

加藤

勝間和代さんが翻訳した、マルコム・グラッドウェルが『天才!』っていう本の中で、ビートルズがあれだけ才能を発揮できたのは、ハンブルグでのライブコンサートなどの、たくさんのライブをこなしていた修行時代のおかげだ、って書いてるんですよね。あと、クラシックって、若い頃から訓練するじゃないですか。1万時間トレーニングしないと、天才は天才を発揮しないみたいな。そういう意味でいうと、やっぱり数をこなすトレーニングって必要だと思うんですよね。

週刊誌は、編集の筋力トレーニングの場として、ものすごくよかったんですね。じゃあ最初から雑誌をやりたかったんですか?

加藤

僕は『巨人の星』や『あしたのジョー』で育ってて、『少年マガジン』がすごく好きで。講談社にも、漫画がやりたくて入ったんです。講談社にはそういう漫画の雑誌やドル箱の女性誌、当時すごく売れていた週刊現代やフライデーがあって。そのすごく強い土台の上に書籍がのっかって、全体としてバランスよく経営が成り立ってる構造だったと思うんです。入社してから20年以上、雑誌畑の部署にいたのですけど、そのときは書籍編集のセクションをすごくバカにしていて、「平家の公達みたいな気取ったヤツがインテリ臭い上等な本を作ってるけど、マンガや雑誌が書籍を食わせてやってんだ」みたいに思ってました。すごい嫌なやつでしょ、自分は終始人間ができてない人だったんで。アホだったんです。

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加藤

講談社だけじゃなくて、大手から中堅の出版社はみんな経営を雑誌で支えてたし、現に儲かったんでね。収益性が高かったんで。
いずれにしても「雑誌が書籍を支えてやってるんだぞ」みたいな偉そうな空気はあったかな。書籍っていうのは、まあ、カッコいいじゃない。だから、やっかみ半分な気持ちもあったんでしょうね。

一同
(笑)

加藤

こっち(週刊現代)はそんなことなくて、政治家や芸能人とか、いろいろ人が嫌がることを書くから、グチャグチャいわれるけど、一生懸命、稼いでるんだ! って自負もあったよね。書籍みたいに上品だったり格好つくものじゃなくて、ミもフタもない本音の欲望、本当のニーズに応えてるんだ、って思ってたから、ちょっとツッパるわけですよね。

ミもフタもない本音の欲望。

加藤

テレビ局でいったら、細野邦彦さんという有名な方がいて、低俗番組だという批判を浴びても高視聴率で話題をよんだ『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』とか『ウイークエンダー』なんていうミもフタもないバラエティが人気だった。でも、そういうどこかゲリラ性というか反骨精神があって。テレビのスタジオで「野球拳」をやったんですよ。ああいうエンターテイメントを作ってた人間は、報道の気取ったドキュメントをつくってる人間に対して「おれたちが稼いでるんだ、おまえら勘違いして偉そうにするな」という気持ちがあったと思います。廊下は俺達が真ん中を歩くんだみたいな。

(笑)本当に真ん中歩いてたんですか?

加藤

僕は歩いてないよ(笑)。僕たちのときも週刊誌は元気でしたが、それより前の世代が全盛期だから。そのころはそれこそそのくらいの空気はあったと思います。
それで『週刊現代』のあとは、98年から『フライデー』の編集長を2年やって、そのあと一年ほど新雑誌の研究をして、2001年から『オブラ』っていう女性誌畑の部局から出した男性読者向けの生活情報誌をやりました。

それはどんな雑誌なんですか?

加藤

対象読者は40~50代の男性。少し趣味性の高いライフスタイルの提案をして、仕事以外に趣味をしっかりもって旅を楽しんだり、ちょっとこだわりのある生活。そんなシニア向け雑誌の代表格として小学館の『サライ』がありました。『サライ』は「上手に枯れた」男性のイメージでしたけど、当時は雑誌の〝最期のバブル期〟というのか、まだまだいろんな雑誌が百花繚乱、元気に創刊できた時代だったのかな。「ちょい悪オヤジ」というコトバを流行らせた『レオン』って覚えてる?

ありましたね!

加藤

それを筆頭にゴージャス系の『日経おとなのオフ』などの雑誌もあり、グルメ雑誌『dancyu』も元気。講談社は80年代から、『スコラ』『ペントハウス』、ビジネス誌の『NEXT』、ジャーナル誌の『VIEWS』などなどいろいろ出してきたけど、でも、男性の新雑誌って、なかなかうまくいかなかった。あ、でも『Hot-Dog PRESS』はよかったですね。『Hot-Dog PRESS』のお兄さん版で『CADET』とかもあったけど、もう世の中にないでしょ。男性誌はほんとうにむつかしい。あ、雑誌はみなむつかしいです。

じゃあ、『オブラ』は、イメージとしては『サライ』に近い感じの雑誌だったんですか?

加藤

うーん……。コストのかかるグラビア誌の場合、広告収入がないと収益性が確保できないから、広告が重要で。そのころ、高級時計、車でいうとBMWやメルセデスベンツとか、そういうクライアントが雑誌の出広に積極的だったんです。そういうクライアントを意識すると、高級時計にもベンツにも縁のない人が大半でしょうから、その人たちにささる記事と二律背反するというか。

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加藤

実態の読者のニーズに合わせると、広告が苦しい、だからハイエンドの読者向けに絞り込むのか、それとも実態をともなう読者の心をつかむべきなのか、雑誌の軸がブレるんですよね。その点、ひと昔前に創刊していた『サライ』はしっかりしてたと思うんですけど。結局、『オブラ』で編集長として失敗して、書籍に異動になるわけです。

初めて書籍に。どんな気持ちでした?

加藤

「地獄に落ちた」みたいな。雑誌しか知らない編集者だったので。

中野

地獄!?

加藤

あの、補足説明しますと……。昔、新体操選手だった有名女性の「脱会騒動」やタレントの桜田淳子さんの合同結婚式をやることで大騒ぎになった統一教会問題が、週刊誌やワイドショーで取り上げられたの、覚えてる? 生まれてない?

あ、覚えてます。新郎新婦だらけのふしぎな光景を、テレビで見た記憶が……。

加藤

統一教会(世界基督教統一神霊協会・当時)は、洗脳や霊感商法など、宗教を隠れ蓑にした反社会的な活動をしていて、問題となったわけです。その元信者の人を取材したとき、統一教会から脱会するのがおそろしく、まるで楽園から地獄に落ちる恐怖感があったというんですね。そんな感じ。雑誌の楽園から、失格者として、追放される、楽園追放。失楽園状態(笑)。まあ、渡辺淳一さんの小説と違って、全然、色気のない失楽園だけど。

中野

楽園追放、失楽園!

加藤

われわれのエデンの園から出ていけと言われた気分ですよ。だから、人事異動を言い渡した上司に、どこでもいいから雑誌の編集に置いてくれって泣きつきました。

それはおいくつで。

加藤

2003年だな。僕は1955年生まれだから……。

48歳。

加藤

48歳だったのかー、おっさんですね。

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この記事を書いた人

谷綾子
編集者
滋賀県出身。「椅子なきところに椅子を置く」をテーマに、料理、児童書、文芸など、いろいろなジャンルを手がけています。たのしくて情緒のある本と、お笑いが好き。アルパカも好き。