第10回 本屋大賞にも選ばれ、2016年には岡田准一さん主演で映画化もされた小説『海賊とよばれた男』。ハードカバー、文庫あわせ420万部という大ヒット作を手掛けたのが、編集者の加藤晴之さんです。
今回は、インタビュー第2回目。
怒涛の週刊誌から異動して、書籍の編集を始めた加藤さんのお話をお聞きしました。
谷
たしか3〜4年前に、講談社にお邪魔したとき、そのフロアの案内板に「チーム加藤」って書いてあって。「チーム加藤」ですよ。特別扱いなんですよね。そんな「チーム加藤」代表の加藤さんが、2003年に書籍に移られて一番最初につくられた本は何だったんですか。
加藤
えー、すごい恥ずかしいんだけど。知人の誰かからの紹介があって、電通出身のクリエイターの方の本です。その人の本業は、JR東海の仕事などをしてる人なんだけど、一方で、地球温暖化を憂いてエコな取り組みを真剣に考えてた人の、あれ、忘れちゃったな、タイトルも。地球環境問題を真正面から取り上げるのでなく、笑いや風刺をこめた大人の絵本のような本にして……。
谷
忘れちゃったんですね(笑)
加藤
その人がアル・ゴアの『不都合な真実』にも影響をうけてたのか、地球温暖化とか、そういうことを訴えたいっていうので、絵も可愛らしいし、しゃれてるし、だから、発売してもいいかなと。今から思えば編集者として、ほとんど、何も考えてないわけです。
谷
何も考えていない……というのは?
加藤
たとえば、本の市場性(マーケットはあるのかどうか)とか、コアターゲットは誰だ、とか、そんなことも考えてなかったし。週刊誌って、記事が失敗しても、それは雑誌の一部分だし、しかも、1週間で終わるでしょ。おもしろくなくても、1週間「ごめんなさい」って小さくなっていればすむ。あるいはいろんな人がかかわっているから、自分の記事が悪くても、ほかに良い記事があれば救われるでしょ。書籍編集者になりたてで、そのときもそんな感覚だったんですよね。雑誌のペースが染みついてるから、「こんなの1か月でできるじゃん」という感覚だったんですね。いまでも僕は、あまり物事を突きつめないのかも。アバウトというか、ケーソツというか。
谷
そっか。私からしてみると、その一週間のトライアンドエラーを何度も繰り返せるのはうらやましいですけれど……。じゃあ、そういった本を経て、書籍に移って最初に売れた本、っていうと何になるんですか?
加藤
2005年に出した『白洲次郎 占領を背負った男』(講談社)です。書籍に移って2年ぐらいいて、やっとでしたね。
池田
その本、知ってます!私そのとき営業部にいて書店まわりをしていたんですけど、書店ですごい展開してましたよね。
加藤
そう、あれが著者の北康利さんのデビュー作なんです。当時、みずほ銀行系の証券会社の部長さんをやってて。本業とは別に、お父さんが亡くなったのをきっかけに、出身地の三田(さんだ)の郷土史にかかわる本を書いていて。
谷
三田って、兵庫ですか。
加藤
そうです。北さんとご縁があって会ったとき、「何が書きたいんですか?」って聞いたら、「白洲次郎を書きたい」と。白洲次郎は、当時、奥さんの白洲正子が女性に人気で、次郎本人も、「日本で初めてジーンズをはいた男」とか、おしゃれなマガジンハウスっぽい雑誌の切り口で紹介されてた人物なんですね。スタイリッシュで車が大好きで。
中野
英語もペラペラで。
加藤
そう、男前で。だから、北さんから提案があったときも、当初は、あ、「あのエエカッコシイのあいつかいな」と。
谷
北さんは、最初はそのおしゃれな白洲次郎を書きたいってことだったんですか?
加藤
いや、そうじゃなかったんですね。もともと白洲家って三田の出なんですよね。三田藩の儒官(じゅかん)という学者肌の家柄で、祖父は家老さん。郷土史をテーマにしていた彼はそこのルーツを知ってたんです。つまり「本当の白洲次郎ってどんな人物で何をした男なのか」を書きたいっておっしゃったんです。次郎の祖父、父からの歴史を。
谷
本当の白洲次郎。
加藤
じつは白洲次郎さんの長男と次男……春正さん、兼正さんっておっしゃるんですが、マスコミが嫌いで、あまり出たことはなかったんです。でも、北さんは北摂三田の歴史から勉強されてるし、手紙で取材を申し込んだところ、お二人もご自身のルーツを知りたいと思われていたようで、胸襟を開いてもらって話ができたんです。
谷
北さんは、郷土史を研究されていたご経験から、今まで難しかったアプローチを成立させたんですね。
加藤
そうですね。新しい白洲次郎像の入り口を開けたっていうんですかね。そこの入り口を開けたことで、今までにない白洲次郎像が浮上してきて。日本国憲法をつくる秘話ですとか、ああいう場面が立ってくるんですよね。そういう戦後の、それこそ終戦連絡中央事務局にいた頃の次郎の本当の姿というか、全人像的なものが出てきて。吉田茂の物語が、敗戦から這い上がっていく日本の正史だとすれば、その裏面史のような、新しい光の当たり方がドラマチックだったし新鮮だった。
谷
ただのおしゃれな男じゃないぞと。たしかに、白洲次郎が実際何をしたのかもわかりやすくて、いろんなエピソードから、白洲次郎の人柄や感情まで伝わってくる本でした。
加藤
あの本をお読みになった当時NHKの大友啓史さん(映画『るろうに剣心』や『3月のライオン』の監督)が、すごくおもしろいと言ってくれて。彼がこの題材をとりあげてくださって映像化して。その時点でもう文庫になってたんですかね。ハードカバーの「親本」で17万部から18万部ぐらい出て。文庫は上下巻だから、それぞれ20万部ずつ売ったんじゃないですかね。
池田
作家さんのデビュー作で、それってすごいですね。
加藤
それまで郷土史家として研究して蓄積してたものが、白洲次郎の本に収斂して結実したというか。
池田
元から「本が書きたいから、加藤さんに会いたい」って来られたんですか。
加藤
そうですね。それまで出されていたのは、本業の、不動産の証券化とかの専門書と、北摂三田の歴史にかかわる、川本幸民(こうみん)や九鬼隆一とか。川本は、日本で初めてビールをつくった人です。それも三田の関係ですね。つまり、彼の勉強が集積したものが、「プロデビューでベストセラーを生んだ」ベースにあったと思うんですけどね。
池田
いろいろ会ってお話して「これはいける」って思われたポイントは何ですか?
加藤
これまでにない視点が面白いと思いました。僕は雑誌にいて、名前くらいは知ってたんですけど、勉強不足で、マガジンハウスの雑誌やクルマ雑誌で取り上げられるような、白洲次郎といえばチャラいイメージだった。
池田
そっちの白洲次郎は知っていた。
加藤
常識の範囲で、「白洲正子の旦那さん」みたいな。でも、北さんのアプローチはそうじゃなかった。
池田
いい意味でちゃんと裏切られる。すごい白洲正子ブームでしたよね、あのときに。
加藤
白洲正子と夫婦ということで、みんな知ってるけど、じつは知らないことってあるじゃないですか。あとタイトルですね、『白洲次郎 占領を背負った男』という、ここ最近の「〇×した男」ってタイトルの元祖になった。このタイトルも、北さんの発想。占領を背負うという、なんていうのかちょっと違和感のある表現が、どこか心にひっかかるとこがいい、筆者しか考え付かないタイトル。このタイトルと出会って、この勝負は勝てると思いました。ところが、これから書籍編集者でがんばろうと思っていたら、雑誌のほうから「召集令状」がきて『週刊現代』に戻るんです。
谷
召集令状!
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